広島県のオーパーツ「葦嶽山ピラミッド」の不思議

葦嶽山(あしたけやま)は、1934年に考古学者の酒井勝軍氏により日本で初のピラミッドと認められた広島県庄原市にある標高815メートルの山。あらゆる方角から見てもピラミッド型をしている。鏡石やテーブル状列石なども発見された。UFO飛来地の噂もある。

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日本を代表するピラミッド山に秋田県の黒又山がある。長野県にある皆神山は独特のフォルムで有名だ。そしてもう一つ外せないのが、日本で発見された最初のピラミッド「葦嶽山」である。

日本ピラミッド葦嶽山には、獅子岩・方位岩・鏡岩・大石柱(神武岩)・ドルメンなどが含まれる。巨大な神武岩の看板には「神代アヒル文字が刻まれていたというこの岩一帯は大正の初期神武天皇の財宝が埋められているという噂が流れ 大勢の人が押しかけて石柱を倒して宝を探しまわったために、今ではこの一本しか立っていない。」と書かれている。

獅子岩は、冬至の日没方向を向いていて、石に刻まれている線は人工で刻まれているようである。

葦嶽山ピラミッド説

1934年に「葦嶽山は2万3千年前に造られた世界最古のピラミッド」だとという説が発表され、広島県の山村には見物客が押し寄せた。このピラミッド説を唱えたのが酒井勝家という人物である。

酒井勝軍は、1873年に仙台神学校に入学後、クリスチャンとなる。その後アメリカに留学する。1927年にユダヤ・シオニズム運動の調査のためにパレスチナに派遣される。その後日本に帰国し日本ピラミッド発祥説を唱える。

酒井勝軍は、北側の鬼叫山の斜面には葦嶽山を望むように巨石群が立ち並び、葦嶽山の頂上には太陽石と環状列石があることを発見した。

酒井はこれを2万3千年前に製作されたピラミッドとした。これをきっかけに、全国でピラミッド山の発見が相次いだ。

なぜ、ピラミッド山の発見が相次いだのだろうか?

ピラミッドの定義

我々が認知しているピラミッドは、クフ王のピラミッドのように全体が白い化粧石に覆われ、頂部に金箔を張ったキャップストーンを頂く人工物である。

酒井は太古日本のピラミッドで以下のように述べている。

ピラミッドは元来、天地神明、天照日神を祭祀する神殿であるから人跡の在らん限り、世界何れの所に見受けられる筈のるのであるが、ピラミッドといふとエヂブトに限られ、亦ギザに在る物に限られたやうに今日まで誤解されて居つたのは、一つは旅行者の眼に最も觸れ易い所にあるためで、モ一つは其規模が如何にも雄大であるためであつた。

酒井によると「ピラミッドは天照日神を祭祀する神殿である、ピラミッドという言葉は天の御柱という意義であり、祭壇ならピラミッドと言えるが、霊廟ではピラミッドとは言えない」「ピラミッドの原則としてなるべく人工を加えないことが必要である、エジプトは周囲に山がないので石材で建造したが、日本には山が有り余っているので、その必要を認めない」と記している。

ピラミッドは人工的に石で組まれたものでなくてもよく、自然の地形を利用し、その一部に土や石などを積み上げたものでもよいというのだ。自然を利用するのだから、長い年月が経ち草木が生え、自然の山のようになって当然だという。ただし、山頂には太陽石が必要だという。

エネルギー集積装置である太陽石

葦嶽山には、現在は破壊されて存在しないが、明治時代には山頂に直径3メートルの太陽石が置かれていたそうだ。太陽石はピラミッドに欠かせないもので、一種のエネルギー集積装置だとされる。

以下はピラミッドの様式である。円形または方形を以って囲まれている。

出典:太古日本のピラミッド

実際に太陽石がどのようなものだったのかは分からない。強いて言うなら、クフ王のピラミッドでいうところのキャップストーンだろうか。

出典:Benben – Wikipedia

キャップストーンは、ベンベン石ともいいピラミッドの頂上に置かれていた。ベンベン石は聖なる石とされ別格のものだったそうだ。四角錐の黒い花崗岩で造られた。

ピラミッド発祥説の根拠

酒井は、日本のピラミッドは紀元前1万年より前の築造物で、世界中のピラミッドの祖型であり、その役割は古代天皇の墓であると同時に「神人交通の神秘機関」の象徴であると主張した。

また、何本もの人工的な石柱が折り重なるように立つポイント、人の手により組み合わされた印象を受ける石組みが確認できるポイントなどがある。方位石から、山頂と線で結んだところ、夏至と冬至の日の出と日没ラインが重なっている事実も浮上している。

葦嶽山は古くは日本の神武天皇の墓だとも伝えられている。

真相

2万3千年前にピラミッドを製作できたのか?

酒井の著書によると「今を遡ること実に二萬二千三百年前の太古に於て、鵜草不葦合第十二代彌廣殿作尊天皇が、皇太子時代に造営されたものであることが分かった」と書いてある。

酒井は2万3千年前に製作されたピラミッドとしている。この時代に、世界がどのような状態だったのか確認しておきたい。

エジプトのピラミッドで最も古いジェゼル王のピラミッドは、紀元前2686年頃から紀元前2613年頃に造られた。この時期より遥か昔に広島県でピラミッドが造られたというのである。

土器や石器が青森県の遺跡から出土したのが約1万6500年前である。磨製石器が使われた新石器時代が1万年前内とされる。酒井のピラミッド説が事実なら、後期旧石器時代に石組みなどの土木技術が発達し、第十二代天皇が造営したということになる。この時代に、人類が石を加工することはできたのだろうか?

人類が初めて姿を現したのは250年前。30万年前にはホモ・サピエンスの祖先が日常的に火を使っていた。7万年前にはホモ・サピエンスが文化を形成し始めた。7万年前から3万年前にかけて、人類は舟・ランプ・弓矢・針を発明した。芸術・宗教も出現したとされている。

3万年前から2万年前は人工遺物や埋葬地や採石場などが見つかっている。ドイツのシュターデル洞窟では象牙彫の「ライオン人間」の像が見つかっているが、これは3万2千年前のものとされている。これは文句なく芸術作品といえるものであり、宗教的な意味を持つと考えられている。

ライオン人間の存在は、古代人類が想像上のものを形にする能力を有していたともいえる。

つまり、認知革命が起きた後である2万3千年前にピラミッドが企画・製作されたとしても不自然ではない。

2015年には「Nature」で330万年前に猿人が造った世界最古の石器がケニア北西部で発見されたと発表された。猿人でも洗練された道具を作る能力があるのだから、人類であれば土木技術がなくても石などを積み重ねたり加工することも可能であろう。

日本ピラミッド発祥説の根拠

酒井は日本ピラミッド発祥説の根拠として、竹内家に伝わる竹内文書に記された天津教竹内家神宝の「日来神宮(ひらいじんぐう)」を挙げている。日来神宮はピラミッドの存在を暗示するものだという。

竹内文書は、超古代時代、天皇が飛行物体で飛び回ったり、ムーを思わせるような大陸の存在を示唆したり、上古初代天皇が誕生したのは宇宙誕生より前とするなどのトンデモ内容という理由もあって偽書説がつきまとっていたが、結局は偽書ということで学界から事実上抹殺されたほどのトンデモ書である。

したがって、ファンタジー要素が強い偽書の竹内文書を根拠にした日本ピラミッド発祥説もファンタジー寄りということになる。

まとめ

ピラミッドというからには、超古代時代に人類がロストテクノロジーを用いて、見るからに現在の技術では困難な人工物を築いたというものを期待してしまう。

酒井がいうように、自然の一部に石を積み上げただけでピラミッドになるというのなら、葦嶽山に限らず様々な山や丘もピラミッドといえる。太陽石に関しては、存在と定義自体が怪しげなので議論するまでもない。

とはいえ葦嶽山は人々を魅了する不思議な山であることは事実だ。

オーパーツがある場所

〒727-0623 広島県庄原市本村町

参考文献
  • サピエンス全史
  • 神々の遺産オーパーツ大全:並木伸一郎
  • オーパーツ&超古代ミステリー
  • 超古代文明とオーパーツの謎
  • 太古日本のピラミッド:酒井勝軍
  • 本当は怖い古代文明

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