バベルの塔の高さと建築費用はどれくらいなのか?場所はどこにあったのか

バベルの塔

バベルの塔とは旧約聖書の創世記の第11章に記されている人類初の超高層建造物だと考えられてきた。しかし、バベルの塔は別の場所にあったという説を主張する研究家たちもいる。バベルの塔は本当にあったのか?そしてどこに建てられていたのか?

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バベルの塔の伝説は「歴史の捏造」といわれていた。しかし今日ではむしろ、バベルの塔は実際にあったという説が、研究者の意見の大半を占めている。

バベルの塔の内容

バベルの塔の内容を要約すると以下のようになる。

ノアの大洪水後、ノアの家族が生き延びたおかげで人間達は数百年かけ再び地上で増え続けた。しかし人間は神を軽んじ傲慢になった。とくに、東メソポタミア地方の都市シンアルではその傾向が顕著だった。

石の代わりにレンガを積み、漆喰の代わりにアスファルトを塗る技術力を持った人間達は、天まで届く塔を築こうと考える。しかしこれは神に対する挑戦と解釈した神は怒る。同じ言葉を使っているからよからぬことを企むのだと考えた神は、人間達が話す言葉をバラバラにした。

塔を建設中の工夫たちは、仲間の話す言葉がわからなくなり困惑し、塔の建設は中止された。その結果、人々は世界中に散らばった。この人々の混乱(バラル)の様子から、シンアルは「バベル」と呼ばれるようになったのである。

創世記の第11章に記されているバベルの塔の内容をみてみよう。

「さて全地は同じ言語を持ち、同じ言葉を話していた。人々は東の方から移って、シナルの地に平地を見つけて、そこに住みついた。人々はたがいに言った、「さあ、煉瓦を造ってそれをよく焼こう」。こうして彼らは石のかわりに煉瓦を、粘土のかわりに瀝青(れきせい)を用いるようになった。彼らは言った、「さあ、われわれは一つの町を建て、その頂きが天に達する一つの塔を造り、それによってわれわれの名を有名にしよう。全地の面に散らされるといけないから」。ヤハウェは天から降りて来られ、人の子らが建てていた町と塔とを御覧になった。ヤハウェが言われるのに、「御覧、彼らはみな同じ言語をもった一つの民である。そしてその始めた最初の仕事がこの有様だ。今に彼らの企てる何事も不可能なことはなくなるであろう。「よし、われわれは降りていって、あそこで彼らの言葉を混乱させ、彼らの言葉がたがいに通じないようにしよう」。ヤハウェは彼らをそこから全地の面に散らされたので、彼らは町を建てることを放棄した。それゆえその町の名を乱れ(バベル)と呼ぶのである。というのはそこでヤハウェが全地の言葉を乱し、またそこからヤハウェが彼らを全地の面に散らされたからである。(創世記:第11章)

人類は神の教えを無視し、バビロンに定住し権力と名声を強めようとしていた。つまり自分達が傲慢にも神のように振る舞おうとしていたのだ。神が怒るのは最もである。

バベルの由来

バベルとはヘブライ語のバーラル(混ぜる)からきたというが、実際にはアッカド語の「バブ・イル(神の門)」が転訛したものと考えられている。後にギリシア人はバビロンと呼んだ。

バベルの塔の高さと段数

バベルの塔は、十二世紀にロマネスクの鐘楼に掲げられた壁面に想像画が描かれているのをはじめ、多くの画家によって多彩に描かれているが、十六世紀のオランダの画家ピーテル・ブリューゲルが描いた絵がもっとも細密でドラマチックな作品として有名である。下の図はピーテル・ブリューゲルのバベルの塔である。

言い伝えから高さを算出

言い伝えでは煉瓦を1日に30センチずつ積み上げ、レンガを積みあげた塔の頂は雲に隠れるほどで、頂上に達するには半日もかかり、その影の長さは三日間も歩くほどの長さだったという。この言い伝えをもとにバベルの塔の高さを推測してみよう。

東京タワーは高さ150メートルの大展望台まで600段の階段を15分ほどで登ることができる。1分で40段、10メートル登ることができる。

当時の労働時間が6時間、半日を3時間(180分)とするなら、バベルの塔の高さは1800メートル、段数は7200段にはなるだろう。

日本一の長い石段である釈迦院御坂遊歩道は標高620メートル、段数3,333段。登るのに120分かかる。1分で27段、5メートル登ることができる。これを元に計算するとバベルの塔は、高さ930メートルで4860段になる。

言い伝えを参考に高さを算出すると、バベルの塔の高さは大体以下のようになる。

  • バベルの塔の高さは930〜1800メートル
  • バベルの塔の段数は4860〜7200段

高さ333メートルの東京タワー、高さ634メートルのスカイツリーよりも高い。高さ828メートルあるドバイのブルジュ・ハリファや、高さ1000メートルを超える建設中のジッダ・タワーくらいの大きさだろうか。

しかし、機械を使わず人の手だけでこれだけの高さの塔を建築することは、不可能だろう。

エ・テメン・アン・キから高さを算出

エ・テメン・アン・キはバビロンのマルドゥク神殿の中心部に築かれた聖塔とされている。推定の高さ約90メートルの7層建てだそうだ。カリフォルニア州立大学の学者Stephen L. Harrisなどによると旧約聖書「創世記」のバベルの塔の挿話は、バビロン捕囚時代に、エ・テメン・アン・キに影響されたと考えられている。(エ・テメン・アン・キ – Wikipedia

高さ約90メートルであれば、30階建てのタワーマンションくらいの高さになる。紀元前2000年頃の現存していた建物で最も高かった建築物が、高さ147mギザの大ピラミッドだから、当時90メートルくらいの高さの塔であれば建築可能であろう。

バベルの塔の建設費用

ブルジュ・ハリファとバベルの塔が同じくらいの大きさだとして、ブルジュ・ハリファの建設費用は15億USドルになると見積もられているから、日本円にすると1,773億くらいになる。

階数25階の鉄筋コンクリートのタワーマンションの規模であれば、建設費用は大体80億くらいだが、高さ146メートルのクフ王のピラミッドを建設した場合、1250億円かかるという。

労働者の人件費

ars TECHNICA によると古代メソポタミアの都市ウルクでは、労働者が労働の対価としてビールを受け取っていたという。生ビール300mlの1杯の原価は約150円というから、1リットル500円として1日4リットルのビールを支払うとすると、労働者1日の人件費(ビール代だけだが)は2000円、月に6万円である。

5,000-year-old pay stub shows that ancient workers were paid in beer | Ars Technica

クフ王のピラミッドの建設には最低でも3,500人の労働者が必要だといわれているから、これに近い大きさだったとすると、月に2億1千万円、年間24億円の人件費がかかる。

したがって、バベルの塔の人件費は最低でも年間数十億円くらいはかかっていたと推測できる。

バベルの塔の素材

バベルの塔は焼き練り瓦で建造された。瓦を焼く為に木材が必要だからバビロニア周辺の山林は伐採され砂漠化した。このバベルの塔は、「古代建築の奇跡」といわれ、ハンムラビ時代から数百年もの間、何代もの王たちの手により修復を繰り返されながら、高くなったといわれている。

関東大震災では煉瓦の建物が被害を受け、地震に弱いとの評価が定着してしまったが、煉瓦はひび割れや汚れなどの修復作業が少なくて済むし、半永久的な耐久性を持つ。レンガを積み上げる構造の建物では、材料の重量が重いので、十分な補強が必要となる。

バベルの塔の場所

バビロン説

1899年から1917年にかけて、ドイツの考古学者ロベルト・コルデヴァイを隊長とする発掘隊が、バグダッド近郊の丘で、バビロニア王朝の遺跡を発見した。実際に発掘されたときは、基底部分しか残っていなかったが、第一層の芯部は日干し煉瓦で、外側を焼成煉瓦で覆ってあった。頂部の神殿は釉薬(うわぐすり)をかけた煉瓦を張っていたという。

この遺跡には巨大なピラミッド状の空中庭園があり、バベルの塔は、この庭園の真ん中にそびえ立っていたとされる。

バベルの塔というと、古代バビロニアの首都バビロンに建っていた人類初の超高層建造物だと考えられていた。伝説の空中庭園を持つバビロンにふさわしい建物だというのが一般的な考えだった。

バビロンは、紀元前四六〇年頃にバビロンを訪れたといわれているギリシアの歴史家ヘロドトスが、著書「歴史」の中で「他に類のないほど美しく整備された町」「雄大さにおいて、この町の右に出る町は世界中どこにもない」と記録しているほどの巨大かつ華麗な古代都市だった。

この都市が最も栄えたのは、カルデア王朝のネブカドネザル2世の治世時である。この頃バビロンの都市外壁は、周囲が85キロに達したという。空中庭園が建造されたのもこの時期である。イシュタル門などの建造物が造営され、首都も整備された。

バベルの塔に記されているシナルの地の場所は、現在のイラク周辺とされている。ペルシャ湾に近い所だ。バベルの塔はイラク、バグダッドからおよそ80キロメートルのバビロンにあったとされる。

ジグラット説

バベルの塔はジグラットにあったという説もある。ジグラットは高塔神殿だ。基壇の上に何層もの塔を積み重ねていき、神々を奉る。現在は基盤の跡だけ残っているが、バビロンのジグラットは7段で高さ8メートルの塔だったと考えられている。

シュメール人が建設したジグラットこそ、バベルの塔だとする説も根強く支持されている。シュメール人がメソポタミアの地にやってきたのは紀元前5000年頃だ。紀元前3000年頃になると運河を建設し灌漑農業を大規模なものに発展させた。そして多くの人が集まるようになり王が支配する国になった。

この時、国の中心にジグラットが中心に据えられた。少しでも神のお告げを聞けるように高層ビルのように高く建設しようとした。それがバベルの塔を指しているといわれる理由である。

実はジグラットはバビロンだけではなく、建設されたジグラットの数は20にものぼる。そのなかには、バビロンのジグラットに負けず劣らずと推定される規模の構造だったと思われる遺跡が発見されている。

ウルのジグラット説

最有力候補は、古代シュメールの都市ウルのジグラットだった。基壇は約8メートル×3メートル。高さはこちらも8メートルあったと推定されている。

ウルは古代シュメールの宗教都市遺跡で、1854年にイギリス人のJ・K・テイラーによって発見された。テイラーはくさび形文字の文章を発見し解読した結果、丘はジグラット遺跡であることが分かった。その後、王墓が発掘された。

ウルのジグラットは紀元前2100年頃にウル・ナンム王により完成されたといわれている。その後、紀元前6世紀頃に新バビロニアのナボニドゥス王によって修復された。各面は正確に東西南北を向いている。北東に出入り口が設けられ「ナンナルの中庭」に通じていた。

チョーガ・ザンビル説

1935年に発見されたばかりの南西部に位置するチョーガ・ザンビルも、バベルの塔の候補として有力である。紀元前2000年頃に建設された都市で、紀元前2世紀頃にこの地で繁栄したエラム王国の王ウンタッシュ・ガルによって建てられたといわれている。

高さは数百メートルはあったと推測されるうえ、複雑な5層構造の塔だったことが判明している。建設は王の在位中に完成できず、王の死とともに停止されたともいわれる。

数百メートルの高さであれば、東京タワーと同じくらいだ。言い伝えの高さよりも少し低くなるが、高さだけでいえば最も言い伝えに近い。

高さにこだわったのは異星人と交流するためだったが、逆に彼らに攻撃されてしまい破壊したという説も飛び出ている。

真相

バベルの塔は、数度に渡り戦乱に巻き込まれ破壊された。そのたびごとに、修復されたが、なかなか完成しなかったので、旧約聖書のような話になったのではないかといわれている。

旧約聖書の「創世記」が書かれたのは新バビロニア王国時代であり、古バビロニア王国時代からは千年以上も後のことで、古代のメソポタミアには、バビロンだけではなく、ほかの都市にも数々のジグラットがあった。なのに、なぜバビロンの塔がバベルの塔として描かれたのか?その理由として考えられるのが、旧約聖書が描かれた時代、新バビロニア王国では数多くのヘブライ人がネブカドネザル二世によってバビロンに連れてこられ、捕囚としてバビロンの都市建設に従事させられていたという事実であり、ネブカドネザル二世は都市建設の際に古バビロニア王国時代の塔を再建したのである。(「古代遺跡の謎」未解決ファイル)

旧約聖書の語り部であるヘブライ人たちは、自らが捕囚として建設させられている塔と、かつてこの地にあったはずのバベルの塔を重ねあわせて旧約聖書を書いたのではないかというのだ。

まとめ

本来、高い塔は祈りの造型を現すために建てられた。神聖と高いところを同一視した。飛行機がなかった時代は物見や遠望のためだったのかもしれない。

しかし、そのうち人間は威力の誇示のために高い塔を築くようになる。

現在、1000メートル超えのジッダ・タワーやブルジュ・ハリファなど、超高層タワーが存在する。まさに、天まで届かんとする勢いで、神に近づこうとしているようにもみえる。バベルの塔とは、今の傲慢さを示すのではないか。

しかし、どんなに天に近づこうとも、先端は次第に細くなり空中の一点で閉ざされてしまう。所詮、それが人間の限界なのである。

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イラクジーカール県ナーシリーヤ

参考文献
  • 旧約聖書:創世記
  • 神々の足跡
  • 神々の遺産オーパーツ大全
  • あらすじとイラストで分かる聖書
  • 本当は怖い古代文明
  • 驚異のオーパーツ!超古代ミステリー
  • 「古代遺跡の謎」未解決ファイル

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