ぶら下がる楽園「バビロンの空中庭園」とは?場所はどこだったのか

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バビロンの空中庭園

バビロンは紀元前1800年代に建設されたという古代都市。バビロンの空中庭園はカルデア人で新バビロニア王朝のネブカドネザル2世が、紀元前500年頃に建造したと見られる伝説のテラスである。

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空中庭園の概要

出典:Seven Wonders of the Ancient World

空中庭園は空中にオアシスが浮かんでいるかのように見えたと伝えられており、古代ギリシア時代の旅行書「世界の七つの景観」に紹介され、ビザンティオンのフィロンの「世界の七不思議」の一つである。

20世紀に入り、ドイツの考古学者ロベルト・コルデヴァイが発掘調査を行い、その存在が確認された。

バビロニアの歴史家ベロッソスという神官が書いた紀元前290年ごろの著作に空中庭園についての最初の記録がある。この著作は、紀元1世紀の古代ローマのユダヤ人で歴史家であるヨセフスが主要文献として利用したことで現存している。この記録によると「ネブカドネザル2世は基礎に石を利用してわずか15日間で庭園をつくりあげた、その姿はテラス状の宮殿」とある。

「この宮殿に、ネブカドネザルは石造りはで高く支えられた遊歩道を造った。そこには“ペンザイル・パラダイス”(ぶら下がる楽園)と呼ばれる植栽が施され、その間を埋めるようにさまざまな種類の樹木が植えられた。山国の風景をそっくり再現したのだ」。というベロッソスの文章を引用し、空中庭園を造ったのはネブカドネザルであると主張した。

空中庭園といっても空中に浮いているわけではなく、平地に土を盛り上げて小山を形作り、斜面に階段状のテラスを設け、何層にも重なったバルコニーに植物が植えられた人工庭園なのである。まるで空中から吊り下がったように見えることから、そう呼ばれるようになった。

バビロンの空中庭園は空中に吊り下がっていたとする記述もあるが、誤訳と考えられる。

空中庭園の形状はギリシア人歴史家のストラボンやシチリアのディオドロスなど様々な人物が記録を残しているが、皆主張が違う。

実際はひな壇状のピラミッドになっていて、植物が植えられていたとするのが通説である。

空中庭園建設の動機

ニネヴェの宮殿

空中庭園はなぜ造られたのだろうか?

ベロッソスの文章のなかで、ネブカドネザルは妻アミュティスのために庭園を作ったことになっている。イラン西部にあった山国のメディア育ちで、山の景色を恋しがったアミュティスを慰めようとしたのだ。

王妃アミュティスが砂漠の王国での暮らしを楽しまず故郷のメディアを恋しがった。メディアは色とりどりの花が咲き、樹木には果実が実っていた。しかし、バビロンは乾燥していて緑が少ない。

ネブカドネザル2世が王妃の慰めになるように贈り物として造成したという。故郷であるイランの山を模倣して作ったのがこの空中庭園なのである。

造営者

ネブカドネザル2世

伝承では、バビロンの空中庭園を造営したのはネブカドネザル2世ということになっている。ネブカドネザル2世は前605年から前562年まで在位しており、新バビロニア王国を建設した。ネブカドネザルは、現在のイラクにあった都市国家バビロンの王だ。

ネブカドネザル2世はユダヤ人をバビロンに強制連行したことで有名な王である。エルサレム市街に侵入した新バビロニア軍は、ユダ王国国王、エホヤキムと若く有力な者を次々と殺害し3000人をバビロンに拉致した。

ネブカドネザルは王位を継ぐと空中庭園の他に宮殿やイシュタル門などの壮大な建造物を建設した。経済面では対外貿易や貸付を激励し、金融業を発展させた。

場所

バビロニアの首都であるバビロンの王宮付近にあったとされている空中庭園は、その南の王宮よりも1区画南にあたるユーフラテス川の付近にあったのではないかといわれているが、庭園の正確な場所は謎に包まれたままで、空中庭園の考古学的な証拠はまだ見つかっていない。

バビロンという都市について記した古代の記述でも空中庭園については触れられていないし、古代学者が古都を発掘調査しているが空中庭園の遺跡は見つかっていない。

規模

空中庭園の四方はそれぞれ4プレテラあったとされる。1プレトロンはギリシアの長さの単位で、30.8メートルに相当する。つまり、この空中庭園の広さは123.2平方メートルだったと考えられる。庭園の階段数は、5段だったとする説が多い。階段の幅は2、3人が通れる幅と推測できる。

全体の高さは150メートルあったといわれる。

時期

空中庭園はネブカドネザルの時代のものとするのがもっとも一般的だ。その前の時代である紀元前800年ごろのアッシリアの女王セミラミスが造ったとする説もあるが、他の古代史家は曖昧に「シリアの王」と表現するに留めているようだ。

空中庭園といっても宙に浮いているわけではなく、階段状になったひと続きの壮大なテラスを巨大な柱が支え、高さ数十メートルほどにそびえ建っている。その壮麗な姿は間違いなく人々の目を引き、驚嘆させた。

青々と茂った植物がアミティスに故郷のメディア・アトロパトネの緑豊かな山岳風景を思い出させたことだろう。

紀元1世紀には、ローマの歴史家クイントゥス・クルティウス・ルフスが「ギリシャの寓話に登場する有名な奇跡」と説明し、ほぼ同時代の地理学者ストラボンは「世界七不思議の一つである」と語っている。

機能

水路

空中庭園の内部にはユーフラテス川から引いた水路網があり、そこから水を汲み上げることができた。最上部にはバケツと滑車を使った装置で井戸から最上部まで水を汲み上げていた。井戸から汲み上げた水路を引いて植物に水を与え、庭園は湿度が高い状態にあったと推測される。

このように、当時のバビロニアの水力学は高度な水準にあった。

具体的な手法は、庭園の足元に大きな貯水池を作り、そこから一番高いテラスまで二つのホイールを回転させ、たくさんのバケツを取り付けたチェーンを昇降させる仕組みか、スクリューポンプのようなものを使って水を汲み上げたと考えられている。しかし、どれもはっきりせずに、いまだ謎に包まれている。

スクリューポンプの図

水路が引かれていたのなら、焼き煉瓦を積み重ね、隙間を葦でふさぎ、タールで固め水分が逃げるのを防いだのだろうか。壁の横や隙間には樹木が植えられ日陰を作っていた。頑丈で腐らないヤシの木などが使われていたと考えられる。

真相

空中庭園は存在しなかったとする説

庭園は2~3世紀ごろに起きた地震で破壊されてしまったと考える歴史家は多いが、その場所を示す確かな痕跡は見つかっていない。さらに、ネブカドネザルの偉業について書いた、ほぼ同時代の記録でも空中庭園に関することは記されていない。

紀元前5世紀の半ばに、ギリシャの偉大な歴史家であるヘロドトスが、バビロンは「その壮麗さにおいて世界中のどの都市よりも優れている」と書いているが、庭園については一言も触れていない。

食料貯蔵庫説

コルデヴァイはユーフラテス川の東にある、ネブカドネザル2世の執務宮殿の北東隅で、地下に丸天井の14室を持つ遺構を発見した。この遺構には不思議な井戸があり、庭園の給水に使われていたのではないかとする説が出た。

この遺構こそ空中庭園の一部と思われていたが、遺構から出土した粘土板には油や大麦の配給表の記述が記されていたのを発見した。つまり、空中庭園ではなく食料貯蔵庫だったという解釈である。

空中庭園の場所はニネベ説

2013年には、オックスフォード大学東洋研究所のステファニー・ダリー博士は「空中庭園があったのはバビロンではなく、その1300キロほど北にあるニネベであった」としている。古代メソポタミア北部にあったアッシリアの都市だ。

この説が正しければ、空中庭園はメソポタミアを形作る大河チグリス川から水を引いていたことになる。19世紀半ばに発見された浅浮き彫りの彫刻の書き写した絵によると、バビロンの空中庭園と思われる庭園の様子が描かれている。

ダリー博士によると、空中庭園は新アッシリア王国時代に統治した王センナケリブの命令で建造されたという。センナケリブは紀元前700年ごろ宮殿に庭園を造ったことで知られ、その庭園を「すべての人々にとっての奇跡だ」と語ったという。さらに、彼は80キロも離れた場所から水を引くための大規模な運河や水道橋を整備したことでも知られている。

まとめ

完成した空中庭園は王妃を慰めるだけでなく、緑溢れる憩いの場所であり、野菜や果物が育つ場所だったとも考えられる。

現在でも、都会ではヒートアイランド予防や疲れを癒やすために、屋上緑化といって建物の屋上に樹木や芝生などを植えて緑化を施すことが行われている。現在も古代も、身近な場所に緑を置きたくなる人間の心理は変わらない。

オーパーツの場所

バビロンの遺跡:バグダッドから約85キロメートル、車で2時間

イシュタール門はペルガモン博物館に展示:ドイツのベルリン

参考文献
  • 図解 世界の七不思議
  • 絶対に見られない世界の秘宝99
  • 知っておきたい伝説の秘境・魔境・古代文明
  • 神々の足跡
  • 古代の謎未解決ファイル
  • バビロンの空中庭園 – Wikipedia
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