自己肯定とは自分をねぎらうということ。承認欲求は自己肯定を持つことで改善できる

自己肯定

SNSで100万円プレゼント企画や、バイト先で迷惑行為を公開しウケを狙うバイトテロ行為が目に余る。

かまってちゃんも突拍子もない言動も、承認欲求が原因で起こっている。しかし承認欲求は本能みたいなもので、人間以外の動物にもある。

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なぜ、承認欲求が芽生えてくるのかというと、自己肯定できないからだ。自分で自分を認めることができないから、無理にでも他人からの協力を得る必要が出てくるのだ。

自己肯定とは、一体どういうものなのか。どうすれば承認欲求は消えるのか。

自己肯定とは

自己否定は判断したがる気持ち、つまりは承認欲求の一つである。嫉妬も承認欲求が原因で起こる。

競争、虚栄心、他人を馬鹿にする発言、注目して欲しい気持ち、マウントを取る行為、自慢、おせっかい、アドバイス、批判、怒り、コンプレックス、他人との比較ーーーこれら全ての妄執(もうしゅう)は承認欲求が原因で起こっている。

ブッダは「妄想にとらわれるな」と説いた。

しかし、妄想・執着や承認欲求は源泉のように絶えず湧き出ていて、それでいて器はザルのようであり、絶対に満たされることはない。どんなに他人に認められたとしても次々と承認欲求は湧き出してくる。

狩猟時代、人間は集団で生活するようになり、狩りや外敵に対し協力することで生き延びることができた。より生存率を上げるために、他者から好かれたり賞賛が必要になった。承認欲求は生き延びるための知恵だったのだ。したがって、遺伝子に刷り込まれた承認欲求を簡単に消すのは難しい。

承認欲求は自己肯定を持つことによって少しは軽減することができる

承認欲求は完治しないが、自己肯定感を持つことによって少しは軽減することができる。自己肯定とは「ありのままの自分を受け入れること」である。

ニーチェは著書「ツァラトゥストラはこう言った」で、神や国家に頼らず自己肯定をすることで永劫回帰の虚無に陥らないとした。自己肯定をすることで人生に虚無を感じることもなくなり、神に頼る必要もなくなる。自己肯定があれば承認欲求も不要となり、他人に依存しない生き方ができる。これはブッダで言うこところの「悟り」のようである。

哲学者デカルトが1637年に発表した「方法序説」という哲学書がある。学問において問題を解決する方法論、や形而上学について述べているのだが、これも自己肯定に目覚めるシーンがある。

形而上学の章での「我思う故に我あり」という言葉は、全てを疑って迷って途方に暮れていたときに「わたしは考える、ゆえにわたしは存在している」という自己肯定を示したのだが、これは自分に自信を持ったことを伝えている。

天才や偉人達でも自己肯定とは何かを考え続け、悩んできたのだ。だから、あなたも悩んでいても不思議ではない。

自己肯定とは自分は優秀でなくてもよいと思うこと

ブッダのことばが書かれてある聖典スッタニパータ(七九九、八五五、九一八)には「自分を他人と『等しい』と示すことなく、他人よりも『劣っている』とか、或いは『すぐれている』とか考えてはならない」とくどいほど記されている。

自己肯定とは「自分は優秀でなくても生きていい、他人は他人、自分は自分。他人から認められなくてもいい」と思うことなのだ。つまり、自分のだめなところを受け入れて愛する、他人にも受け入れてもらう勇気を持つことである。

自信のなさは、他人に「駄目な自分を知られたら困る」と思うから起こる。駄目なことを含めて愛され愛するからこそ、自分への不安は解消されるのだ。

自己肯定感が低いと

自己肯定感が低いとどういったことになるのか?もし、自分の周りにこういった人がいたら、どう関わればよいのか。

  • マウントを取るために、他人の批判・悪口を言う
  • 優位に立つために、おせっかい・恩着せがましい行動が増える
  • かまってほしくて、自分の話し・自分の不幸話・過去話をする
  • 批判を恐れて何も挑戦できない
  • 自分を信頼できないので、他人を信頼することができない
  • 高価なものを見につけて、他人より優位に立とうとする
  • 嫌われたくないので、自分で責任を取れない、他人へ責任転嫁する
  • 世のためで動かず、競争することによってモチベーションが上がる

上記の傾向がある人は、自己肯定感が低く、自分に自信がないことが多い。「幼少期に親の愛情を受けなかったから自己肯定できないのよ」と親のせいにする人もいるが、それは言い訳であって、自己肯定感が低い人が発する典型的な責任転嫁の発言である。

まずは自分で自分の人生全てに責任を負う覚悟をすることから始めなければならない。

自己肯定感を伸ばす方法

では自分を認めるにはどうすればよいのだろうか?自己肯定の方法は以下の通りである。

  • 自分の欠点や短所を認める
  • ありのままでいいと思うこと
  • 自分の過去を受け入れる
  • 自分の努力や成果を認める
  • 自分を信頼する
  • 想像の中で子供の頃の自分と会話し、折り合いをつける
  • 他人のせいにしない、自分の人生の責任は自分で負うこと

自己肯定感が強くなるとどうなるのか

自己肯定感が強くなると、人間関係や幸福度があがる。他人の批判を恐れず、自分のために行動できるようになるので成功へのチャンスも増える。

  • マウントを取る必要がなくなり、他人の批判・悪口を言わなくなる
  • 優位に立つ必要がなくなり、他人へのおせっかいをしなくなる
  • 恩着せがましい行動が減り、嫌われないようになる
  • 褒められるための行動がなくなる
  • 批判を恐れなくなり、好きに行動できる
  • 他人に協力を申し出ることができる
  • 依存症が少なくなる

自分の欠点や短所を認める

自分の欠点は、恥ずかしくない、そのままで素晴らしいと思えるような心構えを持つ。そのためには、自分だけでなく、他人の失敗や見苦しいと思ってしまう点も含めて認める。脳は自分と他人は区別できないのだ。自他の境界をなくし、長所欠点全てを認めて許すことが大切。

ありのままでいいと思うこと

かっこつけよう、美しく見せようとするから失敗や醜いものが怖くなり、自信が持てない。よくみせようとするから緊張する。ブサイクも素晴らしい、失敗も素晴らしい、生きているだけで素晴らしいと思うように心得ることで、ブッダのいう執着から開放されるのだ。

自分の過去を認めること

聖典スッタニパータ(八四九)でブッダは「過去にこだわることなく、現在においてもくよくよと思いめぐらすことがないならば、かれは未来に関しても特に思いわずらうことがない」と安らかになる方法を説いている。

失敗した過去、自分の黒歴史を恥ずかしいと思う人も多いかと思う。しかし過去を責めるのは、墓を暴くようなもので、心は不安定になるばかりだ。善悪を抜き過去を認めることで、素晴らしい歴史となるのだ。

自己肯定は自分をねぎらうこと

ただそうはいっても「自分を褒める」ことが難しいと感じる人もいるだろう。まずは「自分をねぎらう」ことからはじめるといいだろう。ねぎらうとは、自分の行動に対し、労い・感謝の意を表すことだ。

例えば、勉強をしたら「勉強頑張ったね」、散歩をしたら「散歩お疲れ様」と苦労を認めてあげるのだ。

  • お料理頑張ったね!
  • 勉強、お疲れ様!
  • 自分は自分、他人は他人
  • 今日も読書できたね!素晴らしい
  • 熟年の渋みが出てきたな
  • 今の年齢の私が、最も素晴らしい
  • 今の私の能力は、とても素晴らしい
  • 今の私の外見は、とても素晴らしい
  • 私の駄目なところも、素晴らしい

このように、生活の上でねぎらうシーンは必ず存在する。ほんの些細なことでもよい、自分をねぎらうことが大切だ。

欠点のある人生は素晴らしい

他人に認められるように頑張ることは、他人の人生を生きることになり、最悪の自己否定人生になる。他人に認められたくて、やりたくもないことをやるのは地獄だ。

自分をアピールしなくてもいいし、自分のことを知らなくてもよい、と思えるようになると楽になる。どんな欠点を持っていても、自分が愛してあげれば問題ない。

誰もが羨む人生を送っている人間の映画はつまらない。欠点あり、挫折後悔あり、そんな人間の映画が最も素晴らしい。

だからこそ、今までのあなたの人生は素晴らしかったのだ。そう思えたのなら、今からの人生は光り輝くだろう。

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