オルメカの巨大な石頭は、19世紀中頃にメキシコの密林の中で農夫によって発見されたアメリカ最古の文明オルメカのオーパーツである。この人頭像はオルメカ・ヘッドと名付けられた。
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目次
オルメカ・ヘッドの概要
メキシコ東南部のベラクルス州からタバスコ州の、メキシコ湾沿岸部に発生した文明をオルメカ文化という。マヤ文明より古い時代に発生したアメリカ大陸最古の文明である。初期のオルメカ文化は、紀元前1200年から前900年栄えた。
オルメカで見つかった遺跡は、のちに発生するメソアメリカ文明の宗教様式と共通するところが多く、オルメカ文化は「メソアメリカ文明の母」といわれている。
オルメカ文化で最も奇妙だとされているのが、巨大な石頭である。オルメカ文明が発見されたきっかけであり、シンボルともいえる。
1862年に、パパロアパン川平野のメキシコ中南部の湾岸低地に位置するメソアメリカの遺跡で発見された。現在までに17体が発見されている。
オルメカ・ヘッドの特徴
高さは1.17〜3.4メートル、重さは約50トンにも及び、玄武岩で作られた頭部のみの石である。
顔は肉厚の頬、潰れた鼻、眉毛と目の間が詰まっておりタレ目といった特徴がある。頭はヘルメットをかぶっているようだ。
オルメカとは「ゴムの国の人々」という意味で、その風貌からもゴムが採れる熱帯地方から来た人とも推測されている。
このあたりはゴムの木の産地だった。オルメカの都市は宗教的な場所であり、政治経済の中枢だった。水路もあり、道路もあり、インフラはどこもしっかり整備されていた。
一番古い都市はサン・ロレンツォと呼ばれている。高さ50メートルの丘のてっぺんを削り、土を盛って整えた台地の上に作られた。
製作目的
人頭像が作られた目的については判明していない。密度が高く思い玄武岩をどのようにして数十キロも離れた場所に運んだのか不明だ。
玄武岩は密度が高く金属を使っても容易に彫ることができない。当時は鉄器は存在しなかったと考えられているので、一体どのように硬質な石を彫ることができたのだろう。ひょっとすると、玄武岩を滑らかに彫ることができるテクノロジーが存在したのだろうか。
また、玄武岩はサン・ロレンツォの北方80キロに位置するトウシュトラ山塊から切り出して運ばれてきたとされる。これだけ離れた場所から玄武岩を車輪を使わずに運搬できるのだろうか?
真相
異星人説
古代マヤ・アステカ不可思議大全によると、あるテレビ番組内で平均8トンもある石頭は、筏に載せても重みで全く動かなかったそうだ。
この大きさの岩を切り出して、運搬し彫刻するという技術水準の高さを古代の先住民が持っていたとは考えがたい。運搬方法や彫刻方法の記録もない。地球を訪れた異星人が、テクノロジーを伝えた可能性はあるのか?
異星人がテクノロジーを伝えたとして、なぜ高度な技術の記録が全く残っていないのか。異星人が携わったのなら、マム族ではなく宇宙人の姿が残されていたと考えるのが自然ではないか。
支配者説
モデルについては、ネグロイドの特徴があると言われているが、どちらかというとマム族の方に似ているので、中南米の先住民と考えるのが自然である。
また、巨石が全て同じような顔なので同一の人間で、支配者のように権力を持った人物なのであろうか。
まとめ
サン・ロレンツォでは、前600年〜前400年の間に、球技場が作られたことが発掘で分かっている。人頭像の頭につけているのは球技で使うヘルメットなのかもしれない。
オルメカヘッドと名付けられた人頭像は、オルメカの歴代君主や有力者などを模したなど様々な諸説があるが、決定的な答えは出ていない。
オーパーツが展示されていた場所
メキシコ、ハラパのベラクルス州立博物館
参考文献
- 古代マヤ・アステカ不可思議大全
- 神々の遺産オーパーツ大全:並木伸一郎
- マヤ・インカ文明の謎