ピリ・レイス地図は、1513年にトルコの海軍提督ピリ・イブン・ハジ・メムドが製作した古地図だ。この地図は正距方位図法が使われ、さらに当時未発見だった南極大陸を思わせる海岸線が描かれていた。
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目次
ピリ・レイス地図とは
ピリ・レイス地図は1513年に、ピリ・レイスにより作成されたもので、当時としては最新の地理知識が盛り込まれていた。高度な測定技術、正距方位図法、南アメリカ下の南極を思わせる大陸などが描かれた。
この地図の右下の位置が南極大陸といわれている。
発見
1926年、トルコの首都イスタンブールにあるトプカピ旧宮殿博物館内の保管棚で、ガゼル羊皮紙製に描かれた地図の断片が発見された。
1枚目は1513年作成と記されたもので、スペインから西アフリカそして南北アメリカの東海岸が描かれていた。2枚目はグリーンランドとカナダの一部、北アメリカの東海岸が描かれていた地図には1528年作成と記されている。
この2枚の古地図こそ、6世紀のトルコ海軍ピリ・レイス(提督)によって描かれたオーパーツ、「ピリ・レイスの地図」である。
地図にはトルコ語とラテン語で「余、すなわちトルコ海軍総督ピリ・イブン・ハジ・メメッドは、ギリシャのアレクサンドロス大王の時代から伝わる20枚の地図を参考にこれを描いた。回教暦九三四年六月四日」と書かれていた。
地図には、ヨーロッパの南西に位置するイベリア半島、アフリカ大陸北西部、南北アメリカの東海岸、および南アメリカからのびる陸地が描かれている。この地図の南アメリカからはさらに謎の陸地が、南に向かってのびていた。この絵はさらに東にのび、大西洋の南からアフリカ大陸の下に回りこむように描かれている。
アメリカ、ニューハンプシャー州立大学のチャールズ・ハプグッド教授によって、地図には当時未発見だった南極大陸の海岸線が描かれていたことが、近年になって判明した。
ピリ・レイス
トルコ海軍ピリ・レイス
ピリ・レイスは大海賊ハイルッディン・バルバロッサの下で、当時世界最強のオスマントルコ海軍の司令官として大活躍し、十六世紀中ごろ多くの海戦で勝利を収めている。
ピリ・レイスが一五一三年に複写した地図の原図はコンスタンティノープルの帝国図書館に所蔵されていたものと思われる。
未発見の南極大陸が描かれていた
オスマン帝国の海軍軍人ビリ・レイスが作成した、通称ビリ・レイスの地図には、当時まだ発見されていなかった南極大陸が描かれていた。南極大陸の氷の下に隠されていた海岸線や山脈などの形状が正確に反映されていた。地図が作られた1513年にここまで正確な測量技術はなかった。
南極大陸は1819年に発見され、その後100年余を経て、地震波による観測により、ようやく分厚い氷の下の海岸線や島の一部が明らかになっている。この地図が作られた当時はまだ知られていなかったはずの南極大陸を、ピリ・レイスはいかにして知ったというのか。
アメリカ軍の地図との一致
さらに、ゆがんだ地図と思われていたピリ・レイス地図が、第二次世界大戦中にアメリカ軍が航空機用に作成した地図と似ていることが判明した。
アメリカ海軍水路部の海図専門家アーリントン・マレリーは、米海軍水路部の協力を得てこの地図の分析をした。すると地図のひずみ具合が、米空軍が第2次世界大戦時に作成した地図と酷似していることがわかった。
さらに空軍地図の作製法に基づいて再分析してみたところ、なんとエジプトの回路上から地球率計測したときの地形とぴったりと一致した。高所から観測したデータに基づくアメリカ軍の地図とピリ・レイス地図は一致していたのである。
天測によって南北方向の位置を決める緯度測定は古くから知られていたが、東西方向の位置の測定はクロノメーターを使わないと不可能だ。クロノメーターが世に出てくるのは3世紀後である。
衛星写真との一致
トルコ文部省支援のもと地図の研究を行った地図研究科のメティン・ソイル氏によると、空からみた衛星写真と見事に一致するという。これは人間が空から飛び出し宇宙から見た地図に違いないという。
この見解に東海大学に調査を以来したところ、見事に一致したようである。
出典:テレビ朝日古代ミステリー秘宝殿
問題提起
コロンブスが新大陸を発見したのは1492年。ピリ・レイスはどうやって南北アメリカの形やその他の大陸の配置を知ったのか。地図全体的に見られる奇妙なひずみも疑問を生んだ。地図にしては地形もやや不正確だった。
注目すべき部分は南極大陸が描かれていたことである。地図が製作された1513年は南極大陸の存在は知られてなかった。南極大陸は厚い氷に閉ざされており、地形を正確に把握できたのは1956年のエコー探査によるものだ。それより400年以上前に、どうやって氷の下の地形を正確に把握できたのだろうか。
地図には「この地図はアレクサンドロス大王時代の古地図を参考にした」と書かれている。
アレクサンダー大王時代は、紀元前356年〜紀元前323年である。そんな古代の時代、人類はすでに地球が丸いことを把握し、それを計測する高度な文明を有していたのだろうか。
真相
ピリ・レイス地図とグーグルマップをトリミングしてレイヤーさせてみたところ、南アメリカ大陸とアフリカ大陸、イスパニョーラ島の位置は大体一致した。南極大陸は少しだけ位置がずれている。赤い部分が現在の大陸の位置である。
グーグルマップは地球を球状に表示するようになった。ズームアウトして球体表示された地図をレイヤーさせることで、平面の地図ではなく球体の歪みを取り入れた視点で描かれていることが判明した。現在の南極大陸の位置は右下の赤色部分である。
ピリ・レイス地図を上空から計測したと仮定したときの地図の位置。
しかし、ピリ・レイスの南極大陸の位置とグーグルマップで見た球体の位置を重ねてみると、南極大陸の位置が違う。
海底地形とは一致する?
東海大学 情報技術センターの中野良志氏によると、NASAが衛生から捉えた海底地形の情報において、アルゼンチンの東側にある直線のパターンとピリ・レイスの同じ部分の直線に似ているという。
1万年前か前の氷河時代に水位の低い時代があって、その海岸線と一致するかもしれないとのことだ。そうだとすれば、南極大陸のずれは水位の低い時代に描かれたという理由で説明できる。
ピリ・レイス地図は氷河期時代に記録された陸地の資料を元に製作された、と考えることはできないだろうか。
南極がこの地図に描かれたような様子をしていたのは、約1万5千年前だった。1万5千年前は第四氷河期の終わりで、南極はまだ温帯の位置づけにあり、現在は厚い氷に覆われてしまった島々や大陸の海岸線も水面に顔を出していたと考えられる。
南極の存在は昔から知られていた
紀元前150年頃にはプトレマイオスが最南端に未知の国の存在があることを示している。650頃にはポリネシア人が南の海で浮氷を見たという伝説があるが、これは信憑性が高い。
なぜなら、京都大学名誉教授である片山一道氏によると「古代ポリネシア人は数々の島に渡っており、3500年ほど前には既にニューギニアまで進出している」という。
こんな昔に星の位置を頼りにして海を横断する航海技術を持っていたから、既に南極大陸を発見していたとしても不自然ではない。その時の記録や伝聞が世界各地に伝わっていて、地図製作のヒントになった可能性は大いにある。
現在では南極大陸を描いたものではなく、南アメリカ大陸の海岸線を描いたものというのが通説のようである。
1513年作成のオスマン帝国の海軍提督ピリ・ムハメドの地図にウェッデル海からクィンモード・ランドにかけての海岸線が南アメリカ大陸に繋がる形で描かれているように見える。これが通称ピーリー・レイースの地図であるが、南極大陸を描いたものではなく、地図上のスペースに収まるように南アメリカ大陸の海岸線を描いたものとする解釈が一般的である。南極の歴史 – Wikipedia
地球が球体であることは常識だった
1960年代に入ると、地図のずれ方に一定の規則性があることをもとに、ピリ・レイス地図は球面三角法という円球を測量する高等数学に基づいて作成されている可能性が浮上した。ということは、地図の作成者はすでに地球が丸いことを知っていたことになる。
地球の外周の大きさを正確に測定した古代ギリシャの数学者、エラトステネス( 紀元前275年 〜 紀元前194年)は当時から地球は丸いと考えていた。現在の地図の15%の誤差で円周距離を推定した。
古代ギリシャでは地球が丸いことが判明していて、世界に伝播した。紀元前3世紀頃にはヘレニズムの天文学により地球が球状であることが既に確立していた。
プトレマイオス図:プトレマイオスの世界地図は、150年頃にプトレマイオスが著した『地理学』を基にして15世紀に再構成された。
クラウディオス・プトレマイオスは学問の中心であるアレクサンドリアに住んでいた。1400年もの間、天文学の標準的な本であったアルマゲストの中で、地球が球状であることの多くの議論を進展させた。それらの議論の中には「山に向かって船を進めると、山が海から立ち昇ってくるように見える」とあり、これは山が湾曲した海に隠されていることを示していた。彼は又、別の議論で地球は、南北方向にも、東西方向にも湾曲していることを示した。
出典:丸い地球
プトレマイオスは地球が南北東西方向に湾曲していることを示したようだ。地球が球状であるという情報は古代末期の学問では常識だったようだ。
まとめ
これらのことから導かれる結論は、ピリ・レイス地図に描かれたものは平面地図と比較すると誤差があるが、球体表示された地図とは一致する。現在の南極大陸の位置はずれていた。
しかし、南極大陸は海底地形で見ると一致することから、氷河期時代に記録された陸地の資料を元に製作された可能性はある。
南極の存在や地球が球体であることは既に知られていたので、ピリ・レイス地図が高度な技術を駆使して作られたわけでもない。過去の資料と伝聞が複写され続けて作られたと考えられる。
一つだけはっきりしているのは、南極大陸の下敷きにされた、もっと正確な複数の地図は紀元前から伝えられた可能性があるということである。
オーパーツが展示されていた場所
トルコの首都イスタンブールにあるトプカピ旧宮殿博物館内
参考文献
- テレビ朝日 古代ミステリー秘宝殿
- ムー的世界遺産
- 超古代文明とオーパーツの謎
- 驚異のオーパーツ!超古代ミステリー
- 本当は怖い古代文明
- 世界遺産 封印されたミステリー