日本人とユダヤ人の共通点と相違点

日本人とユダヤ人の共通点と相違点

濃い顔を持つ私は豚肉を食べるとお腹を壊すし、血がついている牛肉のステーキは食べれない。エビやカニも抵抗がある。ひょっとすると、私のご先祖様はユダヤ人だったのではないだろうかと思うときがある。

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濃い顔で読書好き、お金儲けが得意な人を見ると、ひょっとしてご先祖様にユダヤ人がいるのではないか?と想像する。

日本語の語源はヘブライ語であるという都市伝説、秦氏がイスラエルから朝鮮半島を経由して日本に入ってきたとか、失われた十部族の一部が日本人になったというトンデモ説など、日本人とユダヤ人の祖先について言及する伝説は多い。

日本人もユダヤ人も「四つ足」の豚を汚れたものとして扱っていたし、塩や水で身を清める禊がある。他にも類似点は多い。山伏天狗の面とユダヤ人の顔はどちらも鼻が高いから関係が深いといわれる。しかしユダヤ人の身体的特徴はないのだから、鼻が高いからユダヤ人だと決めつけるのは短絡的だ。

このページでは、ユダヤ人と日本人の相違点と類似点を、独自の考察も混じえながら比較する。

イスラエルと日本の相違点と類似点

イスラエルは1948年に建国された。ネゲブには砂漠がある。公用語はヘブライ語で右から左に右横書きで書き、母音を表す表記がないことが多く大文字と小文字の区別もない。宗教は一神教と厳格な戒律世界、拡散していったユダヤ人。パレスチナは常に戦場だった。

一方、日本は、神道に加え中国から伝わった仏教と儒教が混在しているし、海外の支配を受けずに主権国家を維持してきた島国である。また日本語は漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字・英語も含まれて、複雑だが表現の幅が広い。

文字の面白さについては、イザヤ・ベンダサンの著書「日本人とユダヤ人」に「日本の文字は実に便利である。上から下へも書けるし、左から右へも書ける。必要に応じて右から左へも書ける。書く方向の自由さという点では、おそらく世界最高の文字であろう。英文は縦書きはまず不可能だし、読むことができない。」と書いてあり、面白い考察だなと思った。

いわれてみれば、日本でも昔は右から左に書いていたので、その点はヘブライ語と似ているが、様々な文化と独自の文化が複雑に絡み合った文字である。

ユダヤと日本は物質的な類似点は多いが、考え方や土地・宗教の点において相違点が多い。具体的には以下の通りである。

相違点

文化的・思想的な相違点はこれだけある。特にビジネスに対する考え方が全く異なる。ユダヤ人は二〇〇〇年の厳しい歴史的背景もあって商売に対する考え方がシビアだ。日本人は安全なお国柄が影響しているのか、平和でのんびりしている。ユダヤ人がトンビなら、日本人はウサギに近い。

宗教

  • ユダヤ教の厳格な戒律だが、日本には戒律はない
  • ユダヤ教は一神教だが、日本は神道・仏教・儒教が入り混じり生活に根付いている
  • ユダヤ教では神が宇宙の中心、日本は自然に神が宿ると考える

文化

  • ユダヤ人はイデオロギー・政治・宗教の話はデリケートなので避けるが、日本人は他人の前でも恣意的に話してしまう
  • ユダヤ人は哲学・歴史・生物・軍事・純文学などの教養を包括的かつ深く話せるが、日本人は芸能人・下ネタ・ペット・恋愛の話が中心である
  • ヘブライ語は右から左に文字を書くが、日本語は縦横自在に書ける
  • ユダヤ人は沢山食べて健康になろうとするが、日本人は少食で健康を維持する

歴史

  • パレスチナは常に戦場だったが、日本は世界的にみれば平和なほう
  • ユダヤ人は放浪の民となったが、日本は自国におさまり外国に支配されることも無かった
  • 天皇の永続性

ビジネス

  • ユダヤ人は銀行を信用していないが、日本人は銀行を信用している
  • ユダヤ人は曖昧な約束は許さないが、日本人はルーズでも許されるケースが多い
  • ユダヤ人は時間を大切にするので無駄な会議や残業をしないが、日本人は無駄な会議と残業をする
  • ユダヤ人は時間は金と考え相手の時間を盗まないように配慮するが、日本人は時間は無料だと思っている
  • ユダヤ人は休息を大切にするが、日本人は休日でも出勤する
  • ユダヤ人は契約を破らないが、日本人は契約を重要視しない
  • ユダヤ人は見切り千両、日本人は石の上にも三年
  • ユダヤ人はメモ魔で証拠を残すが、日本人はうろ覚えが多い
  • ユダヤ人は自国の商品の独自性を大切に考えるが、日本人は海外製品の魔改造を得意とする
  • ユダヤ人は商品を値引きしないが、日本人は値引きする
  • ユダヤ人は金の区別をしないが、日本人は「綺麗な金、汚い金」と区別する

文化的な類似点

日本人とユダヤ人は物質的な共通点が多いが、日常の生活に根ざすものでもなさそうだ。

  • 神の土地に暮らすという選民意識がある
  • ユダヤ人は現金主義だが、日本人も現金を使う人が多い
  • ユダヤは書物の民、日本は識字率が高い
  • 独自の分化を自国で守り続ける
  • 宗教上の儀式の前に水で身を清める
  • 神輿とアークの形が似ている
  • 石灯籠の六芒星とダビデの星が似ている
  • 「四つ足」の豚を汚れたものとして扱っていた
  • 天狗の兜巾とヒラクティリー
  • 法螺貝とショーファー
  • 三種の神器
  • シオン祭と祇園祭

これらの違いを見比べてみると、ユダヤ人が日本に渡来して影響を与えたと仮定してみても、わずかなものである。

角力

旧約聖書の創世記32章23-31に、「ヤコブひとり後に残った。ところが一人の人が表れて、明方になるまでヤコブを角力(すもう)をとった。(中略)それで角力をとっている中に、ヤコブのもものつがいははずれてしまった。(中略)それゆえイスラエルの人たちは今日まで、もものつがいの所にある腰の主な筋を食べない。」と記述がある。その後、ヤコブは神に勝ったという理由で、イスラエルと命名される。

創世記はモーセの五書の一つで、紀元前三世紀中頃アレキサンドリアのユダヤ人の書物である(岩波文庫:創世記の解説より)。

日本では相撲の最古の記録は古事記・日本書紀に記述があるようだから、記録としては創世記に出てくる相撲が古いといえる。日本の相撲は祭りや祈願を行う神事であり宗教的な意味合いが強い。旧約聖書では神とのサーラーで、日本では神事だから神繋がりだ。

発祥としてはどちらが先なのか定かではないが、ユダヤ人の文化には紀元前から角力の記述があり、日本の文化では712年に相撲の記述が登場する。このことから、ユダヤ人が日本に角力を伝え、相撲として根付いたという考え方は面白い。

日本の三種の神器 ヤタノカガミ

日本には、天皇ですら見ることはできないという、八咫鏡・勾玉・天叢雲剣という三種の神器がある。即位した天皇陛下が「三種の神器」などを受け継ぐ儀式、剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀をみて知った人もいるだろう。

鏡と勾玉はアマテラスが天岩屋戸にこもったときに、アマテラスに出てきてもうらうために造られた。鏡は伊勢神宮に勾玉は皇居の御所に祀られている。

剣はスサノヲがヤマタノオロチを退治したときに、しっぽの中から出現した。熱田神宮に祀られている。

その中の一つ八咫鏡(ヤタノカガミ)の裏にヘブライ語が書かれているという説がある。その鏡には「われはありてあるものなり」と刻まれているというのだ。この言葉は旧約聖書の出エジプト記3章1節〜にも同じように「わたしは、有って有るもの」と記されている。

鏡の言葉は「あらゆる存在の根源」という意味である。

日本では鏡はこの世とあの世の境界と捉えられていたし、神事で使われる聖なるものだった。しかし、この鏡に何が書かれていたかを証明できる人は誰ひとりいない。

ユダヤの三種の神器

実はユダヤ教にも三種の神器が存在する。アロンの杖・マナの壺・十戒が書かれた石版である。十戒の石版は神の掟、アロンの杖は奇跡を起こす杖、マナの壺は食べ物が入った壺である。

北のイスラエルが滅んだのが紀元前七二二年、神武天皇が日本を建国したのが紀元前七世紀で、そのときに三種の神器が奉納された。流れとしてはユダヤ滅亡後に、日本が建国され三種の神器が登場したのだ。

ユダヤから日本へ三種の神器の文化が使わったかどうかは定かではないが、歴史の流れを見る限り、繋がっていても不自然ではない。

神器の存在と数の一致、歴史の流れを見る限り、日本とユダヤには宗教的な繋がりがあるといえそうだ。

日本の神輿とユダヤの聖櫃は酷似している

聖櫃(せいひつ)は石版などを収めたりする箱を指す言葉で、我々の聞き覚えのある言葉ではアークと呼ばれることが多い。インディー・ジョーンズという映画で使われたので、聞き覚えのある人はいるだろう。

ユダヤ教典「タナフ」には、日本のお神輿を思わせるアークの作り方が記されている。バイヨンヌのサント・マリー大聖堂のレリーフに彫られた契約の箱にも、4人の司祭が2つの棒につけられた箱を抱えている様子が描かれている。

ユダヤ人は祭りのときにアークを担いで回った。まるで日本のお祭りでお神輿を担ぐ様子を思い浮かばせる。

神社と会見の幕屋

出エジプト記の第三五章で、モーセはイスラエルの子らに幕屋の他、住居・幕屋・蔽いの幕・箱・祭壇・洗盤・聖なる衣服等々を作らせた、と記されている。この「会見の幕屋」は移動式の神殿である。

会見の幕屋は、布の壁で覆われた中に、テントと手洗い洗盤がある。この手を洗う施設は、日本の手水舎(ちょうずや)を思わせる。神殿の蔽いの幕は神社の社殿を囲む透塀(すきべい)だろうか。

またパワースポットで有名な伊勢神宮の石灯籠の籠目紋には、六芒星の形ダビデの星が刻まれている。このように神社と会見の幕屋の造りは、日本の神社の建築構造に似ているのだ。

出エジプト記で、神はモーセに民の衣類を洗わせ清めさせるように命じたと記されている。ユダヤ人は塩を使って食事を清め、ミクべで体を洗い、禊のために体に水を浴びる習慣があった。

日本では盛り塩、神社の手水舎、相撲の塩まきなど水や塩を使う習慣がある。お葬式・お祓いや霊を追い払うときも使われる。実用性ではなく儀式的に使われることが多い。いずれも似たような儀式や習慣であり、他の国では理解しがたいものである。

まとめ

生物の究極的な資質は生存であり、人間は遺伝子以外にも様々な情報や文化を存続させていく高度な生物である。日本にユダヤ人の文化が継承されていても、なんら不思議なことではない。

参考文献:日本人とユダヤ人、ユダヤの商法、創世記、出エジプト記、古代日本ユダヤ人渡来伝説、ユダヤ大辞典、他

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