老いからは避けられない、逃げられないのでしょうか。この記事では、原始仏教や聖典を参考に、老いの恐怖に対する考え方を述べます。
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目次
釈迦は老いをどのように捉えていたか
釈尊の最後が述べられている大パリニッバーナ経で、修行僧達に死別の告知をしたときのことが記されています。
「わが齢は熟した。わが余命はいくばくもない。汝らを捨てて、わたしは行くであろう。わたしは自己の帰依することを成し遂げた。汝ら修行僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、よく戒めをたもて。その思いをよく定め統一して、おのが心をしっかりとまもれかし。この教説と戒律とにつとめはげむ人は、生まれをくりかえす輪廻をすてて、苦しみも終滅するであろう」(原始仏教より)
釈迦は自己に帰依したと話しています。帰依とは完全に依存することなので、自分に対して依存、つまり完璧なる自己肯定発言をしているわけです。
自己肯定とは良いことも悪いことも何もかも、自分の全てを受け入れて認めることです。
齢をとったというネガティブな言い方ではなく、齢は熟したととらえている。自分の老いをしっかりと認め、人間の弱さと現実から目をそらさずに、あるがままを見ています。
老いを特別な意味づけをせずに、あるがままに見ています。したがって、そこにネガティブな感情は発生せず、苦痛から解放されているわけです。
老いの正体とは?
老いとは一体どんな状態なのでしょうか?
「老い」はあらゆる生物に必然的に訪れる現象です。新鮮な細胞が空気中の酸素と結合・酸化し、形状や性質が変化することです。生物だけでなく、鉱物や星にも起こります。つまり、老化の正体は変化、すなわち「運動」ということになります。
この宇宙が誕生した瞬間から運動は始まりました。運動はこの世の絶対法則で、神様にだって停止させることはできません。
そもそも、あなただって運動によって産まれてきたわけですから、運動の上に成り立っているあなたに、運動(老化)を停止する力などありません。
老いからは避けられない、逃げられないことは、お分かりでしょうか。それでは一体どのように、老いの恐怖から解放されることができるのでしょうか?
なぜ老いは怖いのか
なぜ、老いは恐ろしく、嫌だと思うのでしょうか?少し整理してみましょう。
老いは、以下のような特徴があります。
- 外見が変わる
- 脳の働き・動きが変わる
大雑把に分類しましたが、老いの特徴に「変化」というキーワードが含まれていることにお気づきでしょうか。
なぜ、自分の外見が変化(しわやシミが増えたり)すると、嫌なのでしょうか?
一つは、あなたが「変化」を受け入れていないこと、もう一つは、あなたが今まで「他人を、外見・知性で判断してきた」からです。
だから、他人のビジュアル以外の部分である、生き方や経験・老いの変化といったものを肯定することができず、自分の若さが失われビジュアルを保つことができなくなるときに、自己肯定をできなくなってしまい、恐怖を感じるのです。
老いの恐怖から解放されるには
他人を肯定できない人は、自分も肯定できません。他人の老いを肯定できない人は、自分の老いも肯定できずに苦しみから解放されることはありません。
そもそも、老人は若い人よりちょっとだけ酸化した範囲が増えたというだけですよ。数十億年の年齢である地球から見ると、ほぼ同じです。
年老いた他人を、とても素晴らしいと思えるように「他人の素晴らしいところ」を見つけ出す習慣をつけてみるとよいでしょう。
また、優越(若さ、外見、知性)を判断するのも承認欲求のひとつです。自分の判断が正しいとは限らないし、国や時代によっても価値観は変わります。何かを判断しない、そのままを見る、というのも悟りの一つです。
空を理解すれば、老いの恐怖も和らぐ
仏教聖典に以下の記述があります。
「身も心も、因縁によってできているものであるから、この身には実体がない。この身は因縁の集まりであり、だから無常なものである。もしも、この身に実体があるならば、わが身は、かくあれ、かくあることなかれ、と思って、その思いのままになし得るはずである。」(仏教聖典)
これは空という概念で、「存在するもの(生物・鉱物)」は実は実体がなく、確実に存在するのは「構成要素(色・形)」だけであると言っているんです。常に変化(運動)していて、仮のまとまりをなしているだけなんですね。
あらゆるものは常に動くわけですから、自分の好きなように永遠に固定することはできない、ということを理解しましょう。
まとめ
老いの怖さから解放されるために必要な考え方をまとめます。
- 変化を理解する
- 他人を肯定する(否定しない)
- 判断しない(判断欲も承認欲求の一つである)
- 全てのものは運動(変化)している
- 老いに反応せず、理解する
これらのことに気づくには、自分の脳を観察する必要があります。その方法として最も有名なものが瞑想ですね。
瞑想は、自分の欲や感情・妄想を認識することです。
参考文献
- 原始仏教 中村元
- 大パリニッバーナ経
- 反応しない練習 草薙龍瞬
- 仏教聖典
- 集中講義 大乗仏教