ストーンヘンジの謎を考察。天体や軍事を学ぶ学校だったのか

ストーンヘンジ

ストーンヘンジは、巨石を規則的に並べたイギリス南部のソールズベリー平原に築かれたイギリスの遺跡である。誰が何の目的で作ったのだろうか?

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外観

ストーンヘンジはストーンサークルの中で最大級である。高さ4メートルから5メートルの石を、直径30メートルの円形に並べた環状列石。鳥居のように複数の足が一つの石を支えているものもある。

イギリスではストーンヘンジは巨人の踊り場と呼ばれている。巨人が丘を引きちぎったり、岩を海に投げ込んだ影響でストーンヘンジができたという逸話である。

建造の時期

イギリスの研究者ジョフリー・ウェインライトの調査により、中心のサークルは紀元前2500年頃に作られたことが判明した。完成までに1000年を要したといわれている。

製作者は中央アジアからヨーロッパに渡来した民族である古代ケルト人と言われている。ストーンヘンジはケルトの祖先の遺産なのである。

ストーンヘンジの建造と巨石の運搬方法

400キロ離れたウェールズ地方のプレセリ山の採石場で石を切り出し、いかだや橋を使って陸路と水路を運んできたという。

水路を使って思い荷物や石を運搬する方法は日本の江戸でも行われた。門井慶喜氏の「家康、江戸を建てる」に江戸城を建てるための、巨石の石取りと運搬方法が記されてある。その一部をご紹介する。

その小説の中で、石切の棟梁が、巨大な壁にタガネ師達が矢穴を穿たせ、ノミ・タガネを打ち込むこむ。壁の一部は切り取られ巨大な石となり、谷に落下する。後は崖から人里への修羅道の開削を行い、7年以上かけて伊豆から江戸まで石を運ぶという流れだ。

伊豆で切り取られた巨石は船に載せ江戸湾まで運び、舟のようなかたちをした陸上で石を運ぶための木製の容器を麻綱を百人を超える人足たちが引っ張る。敷木は車輪状に回転し、その上でヌルヌルした海藻を置き摩擦を軽減していた。

このように、水路と船と人足を利用すれば、巨石は運搬可能なのである。

しかし、2000年頃、この方法を検証するために実験が行われたが、上手くいかなかったそうだ。

もし、水路を活用しなかったとなれば、高度なテクノロジーが必要となる。しかし、古代で水路以外の方法を使い重いものを運ぶ方法は考えられない。

目的

軍事目的

ストーンヘンジが古代の科学の中心地および高等教育であるという説もある。ストーンヘンジは軍事目的で、そして数学的モデリングの助けを借りて戦争の結果を予測するために使用されたというのだ。

参考:The most ancient theory of Atom. Stonehenge is distant Egyptian solar temple and ancient University

いわれてみれば、巨石に囲まれたストーンヘンジは要塞のような役割を持っていそうである。その中で授業が行われ軍事大学として機能していたとしても不思議ではなさそうだ。

しかし、真夜中に光り輝くストーンヘンジも撮影されている。軍用目的で光り輝かせる必要はあるのだろうか?

祭祀として

ストーンヘンジが作られた目的については、豊穣祈願の施設が定石とされている。古代の人達は宇宙や神の存在を信じており、信仰することが多かった。

当時、食料を保存する技術はないだろうし、天候の影響によって食糧難になることもあっただろう。食料の不作は生死と直結することでもあるので、神に祈りを捧げ豊穣の祈願をしていたとしても不思議ではない。

集団墓地

こちらの記事によると、ストーンヘンジに火葬で埋葬された人は240人になり、骨の放射性炭素年代測定から墓地として機能していたのではないかと考えるに至ったそうだ。

同じ竪穴群の中から他にも骨が見つかっていることから、建造物の完成後も紀元前2500年頃まで埋葬場所として使用されていたと考えられるに至った。
英国ソールズベリー平原 「ストーンヘンジ・環状列石」

今日でも世界中の墓地で石が使われている。ストーンヘンジは多くの故人の遺体をまとめて格納できる納骨堂だったと考えるのが自然だろうか。

天文観測所として

他の推測として有名なものは、ストーンヘンジは天文観測所であったという説だ。考古学会では、祭祀と天文観測の施設として位置づけている。

天文学者のジェラルド・S・ホーキンスなどの研究によると、計算機や日食の観測が可能であるという結論を出したようだ。

ストーンヘンジは夏至・冬至・春分・秋分の日の出・日の入り・月の出・月の入りの方向を示しているというのである。その後の綿密な調査によって、ストーンヘンジは太古の計算機であり、日食の観測や計算も可能であることが明らかになった。
オーパーツ大全 より

しかし、天体観測をするためだけに巨石を投じる必要はない。観測用なら木材等で代替可能だからである。

病気治癒のため

200キロメートル以上も離れた山から、わざわざ重い石を運んだことにどんな意味があるのか?これに一つの見解をくわえたのがボーンマス大学の考古学研究者たちであった。

2008年に発表した最新の説で石に病気治癒力があると信じた人たちが、巡礼の場所としてストーンヘンジを造ったというものだ。(「古代遺跡の謎」未解決ファイルより)

古代時代には病気を治療する知識や器具は存在しない。神や自然を崇拝していた人々が病気治療のために、自然が持つ力にすがったとしても不自然ではない。巨大な石に医療の力が備わっていると信じられていたとするならば、距離も厭わず石が運ばれた可能性は高い。

ストーンヘンジの真相

ストーンヘンジは、地元のエイプリーのアレクサンダー・ケリー博物館などが中心となり、調査の再検討の結果、ストーンヘンジは1500年をかけて木製のサークルから石のサークルへと発展していったそうだ。(謎解き古代文明 ASION より)

これらのことから推察するに、ストーンヘンジは最初から石で作られたわけではなく、段階を経て石に変えられ、再構築されていったということが分かる。つまり、当初の目的は石を使う必要性が無かったものとなる。

石を使う必要があるものは、要塞や城など敵の侵入を防ぐものや、墓標のように長期に渡って記録を残すための情報である。石を使う必要がないものといえば、天文観測所・学校・神事など実用的なものであろうか。

これらのことを参考にした結果、「ストーンヘンジは天体研究や神事・軍事を学習するための学校だった」というのが私の見解である。

数百人以上が力を合わせ作り上げ、後世に引き継がれていくストーンヘンジ。いずれにしても、真相は不明だ。

オーパーツが展示されていた場所

イギリス 〒SP4 7DE ソールズベリー

参考文献
  • 家康、江戸を建てる:門井慶喜氏
  • 神々の遺産オーパーツ大全:並木伸一郎
  • オーパーツ大全:クラウス・ドナ、ラインハルト・ハベック

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