ナスカの地上絵の謎。宇宙人とどのような関係があったのか

ナスカの地上絵

鉱物資源と肥沃な土地がある資源に恵まれた国ペルーに、数多くのナスカの地上絵がある。ナスカの地上絵とは何か?宇宙人とどのような関係があるのか?

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ナスカの地上絵の概要

ナスカの地上絵がある場所

ペルーの首都リマから440キロ離れたパンパ・インヘニオにナスカの地上絵がある。530平方メートルにわたり広がるアンデス山脈と太平洋のあいだにある砂漠地帯に、100以上の様々な絵や巨大な曲線・直線・三角形などの幾何学模様が描かれてある。

ペルーは、鉱物資源と肥沃な土地がある資源に恵まれた国である。しかし、このあたりは年間雨量が少なく、エルニーニョ現象により洪水が起きる。雨が降ると鉄砲水となって流れ出し村や町は深刻な被害を受ける。

ナスカの地上絵はエルニーニョ現象による洪水の被害を受けにくい場所に存在している。

いつごろ描かれた?

発見された木杭を分析した結果、紀元前200〜後800年(紀元前200年〜西暦500年の説もあり)ごろのものであるということが分かった。

ナスカの地上絵の大きさ

数十メートルから数百メートル。高度300メートル以上から見ないと全体像が掴めない。上空を飛行するものでしか確認はできない。

当時の文化

ナスカ文化は紀元前に栄えた地方文化の一つ。ピラミッドがあるので宗教が存在し、灌漑用の水路が発見されていることから農業が行われていたと推測される。

誰がつくったのか?

ナスカの地上絵は古代インカ人が描いたとされている。

溝の制作方法

太古に描かれた線の上の砕岩層を幅1〜2メートル、深さ30センチほど削り白色の砂地を露出させることによって描かれている。線は一筆書きである。

保存方法

乾燥した気候が、現在までナスカの地上絵を残したと言われている。

いつごろ知られたか

1926年〜1927年、ペルー考古学のフリオ・C・テヨ教授の調査団が、地上絵を記録。ナスカ高原上空でペルーの測量チームが発見。米国の天文学者であるポール・コソックが最初に研究した。20世紀初頭までだれも知られていなかった。

種類

ナスカの地上絵で描かれたものは以下である。動物や花が主。共通している特徴として、動物は手足が長く、手が大きい。

  • ペリカン
  • コンドル
  • ハチドリ
  • シャチ
  • オウム
  • スパイラル
  • トカゲ
  • クモ
  • イヌ
  • 宇宙人(フクロウ男ともいわれる)
  • トライアングル
  • クジラ
  • ジオメトリック
  • スター
  • サル

ナスカの地上絵が描かれた目的

地上で地上絵を見ても道と溝しか確認できず、全体像は掴めない。したがって地上で生活している生物に向けて創られたとは考えづらい。しかし、記録書等は見つかっていないので、何のために創られたのかは不明。

諸説としては、以下のようなものがあるといわれている。

  • 宇宙人への帰還用メッセージ
  • 天文カレンダー
  • 熱気球用の飛行場
  • 宗教施設
  • 宇宙船の滑走路
  • 雨乞い用
  • 儀式用
  • 天への贈り物
  • 神降臨のための目印

宇宙船の滑走路説

スイスの宇宙考古学者エーリッヒ・フォン・デニケンは宇宙船の滑走路、帰還用の目印として描いたと推測している。

かつて空から何ものかがやってきて、神として原住民に崇拝された。そして神が帰還する際の目印として何世代にも渡ってラインを書き続けた。しかし、神が戻ってこないので、注意を惹くために、巨大な様々な動物を描くようになった
(神々の遺産オーパーツ大全:並木伸一郎)

もし、宇宙船を使うような高度なテクノロジーを持つ宇宙人と接触したのなら、その時にナスカの地上絵を作り上げる技術も宇宙人から伝授されたのだろうか?

ナスカ台地には全長30メートルの宇宙人の図も描かれている。

目が大きく右手を上にあげている。この図に描かれた宇宙人こそ、ナスカを訪れた神だったのか。

さらに、ナスカ3本指の宇宙人ミイラが発見されている。しかし後のDNA鑑定で、人間の遺伝子と一致したそうだ。宇宙人ではなく三本指の古代人だったのだろうか。それにしては人間の外観と似ても似つかない。

【衝撃】ナスカで発掘された「3本指の宇宙人ミイラ」は本物だった! 学者が疑惑を完全払拭“フェイクではない”ことを証明! (2018年2月12日) – エキサイトニュース

古代宇宙飛行士説

古代宇宙飛行士説の世界的論者であるジョルジョ・ツォカロスの説によると、ナスカ平原は地球外生命体にとって最適な着陸地点だという。

その理由は、推進剤として使われる硝酸塩が豊富だからだ。地球外生命体はここにエネルギー体があると知っていたのかもしれない。彼らが戻るときのために滑走路を残したのだろうか。

ナスカから650キロメートル東にある、チチカカ国。ここには遺跡がある。この遺跡は1千年以上前に栄えたティアワナコ文化の中心だったという。2000年に世界遺産に登録されたところだ。ティアワナコは天空の人々を崇めるために作られたそうだ。

ナスカ地上絵の滑走路はティアワナコの方を向いている。ナスカはペルーの沿岸に向かうための通過点だったといえる。彼ら宇宙飛行士は航空機に乗ってナスカに到着した。そして地上絵に導かれて、アンデスの都市ティアワナコに向かったのだという。

雨乞いの儀式用

ニューキャッスル大学のトニー・スポフォース教授によると雨乞いの儀式で使われたものだという。

地上絵は雨乞いの儀式と関係があるという。旱魃に襲われたとき、数千人もの巡礼者が大挙して移動しつつ、雨神に雨乞いした。その移動の跡が地上絵として残ったというのである。
(オーパーツ大全:クラウス・ドナ、ラインハルト・ハベック)

地上絵の溝が下水道の役目を果たしていたという。しかしこの説だと、イヌやサルの絵をどう天気と結びつければよいのか分からなくなる。

地上絵は宇宙人がつくったのか?

ハチドリやサルの地上絵は、よく観察してみると真っ直ぐな直線ではないし、パーツの間隔が等間隔ではない。つまり、イラストレーターでつくったように正確な図形ではない。

  • 左右非対称ではない
  • 生物の地上絵に使われている線は完璧な直線ではない

もし、上空から焼き付けるなど、高度な科学技術が使われていたら、ツールで人工的に作成したように左右対称で等間隔の直線があってもよいのではないだろうか。

したがって、ナスカの地上絵は高度な文明を持つ知的生命体のようなものが、自ら造ったとは考えづらい。事実、地上絵はナスカ人の能力で描くことができたと判明している。

ナスカの地上絵の真相

また大学の実験により、高度なテクノロジーがなくても原始的な手法で地上絵は再現可能であることが証明された。

  • 拡大法で再現できた(九州産業大学工学部の諫見泰彦准教授)
  • 目視で再現できた(山形大学の坂井正人教授)

拡大方とは観測用ポールで直線を引く手法である。ヒモと杭を用いて比例する。

直線に関していえば、二箇所の場所に目印を置いてつなげればいいし、円や渦巻きの形も計測によって描くことができる。日本の巨大な古墳やエジプトのピラミッドも計測によって作られたはずである。

いるはずのないクモやサルの絵に関しては、動物の絵が書かれた布や土器・紙がナスカに持ち込まれたら、ナスカにいない動物でも絵を参考にして模写することができる。

しかし、全長50キロの矢印の形をした図形は、拡大法では難しいとされる。もっと、高度な技術によって描かれたのだろうか?そうだとしたら、地上絵を作るためのツールが発掘されないのはなぜか?

結局は決め手に欠ける憶測となってしまうが、科学者であっても夢想は必要である。色々な解釈があるからこそオーパーツは楽しいのだ。

オーパーツが展示されていた場所

ペルーの首都リマから440キロ離れたパンパ・インヘニオ

参考文献
  • 神々の遺産オーパーツ大全:並木伸一郎
  • オーパーツ大全:クラウス・ドナ、ラインハルト・ハベック
  • マヤ・インカ文明の謎
  • 謎解き古代文明:ASIOS

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