なぜ、あなたは「運がわるい、不運が続いている」と思うのでしょうか?この記事では、人間が不運に妄執する理由や、不運とはどういうものなのか述べます。
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目次
不運とは何か?
ブッダの言葉に、このような言葉があります。
死ぬよりも前に、妄執(もうしゅう)を離れ、過去にこだわることなく、現在においてもくよくよ思いめぐらすことがないならば、かれは(未来に関しても)特に思いわずらうことがない。
スッタニパータ 849
妄執とは、ひとつの思いに固執することですね。例えば、嫌なできごとがあった場合に、そのことばかり考えてしまうことも妄執しているといえます。この教えでは、くだらぬ煩いごとにくよくよするな、ということなのですが、くよくよ悩んでしまうのが人間です。
運が悪いと思う人は「嫌なできごとに、いつまでも妄執している」傾向があります。そして素晴らしいできごとを思い出すことが少ない。嫌なできごとやマイナスのできごとを何度も思い返してしまう。
不運とは「ネガティブな感情を脳に記憶した状態」といえます。
人間はなぜ、不運なできごとに妄執するのか?
不運なできごとが起こると、怒りや不安の感情が生まれます。これらの感情は恐怖心から発生しています。
例えば、あなたがラーメンが食べたくて、ラーメンの人気店で並んでいました。
そこに突然、あなたの前に割り込んできた人がいるとします。当然、あなたは怒ります。
なぜでしょうか?
他の人が迷惑しているから?道徳に反するから?暗黙のルールが破られるから?
おそらく、あなたはあなたの正義感から前の人に注意するでしょう。
しかし、他の人達が「別に構わない、気にしていない」としても、あなたは怒るでしょう。
なぜなら、あなたが本当に怒った理由は「割り込みはよくないというあなたの価値観を否定されたことによって、自己否定されたと感じ、脳が自分の存在意義が危うくなると解釈したことにより、恐怖が生まれた」からです。
あなたの価値観を破壊された、つまり自己否定された恐怖から怒りが生じたのです。
正義とは価値観の押し付けです。価値観を押し付ける理由は「自分の存在を揺るがしたくない」からです。
しかし、価値観の押し付けは生物の自然な本能であり、悪いことではありません。生存本能だから仕方がないことです。問題は、日常のできごとを不運だと決めつけてしまうところです。
発生した出来事を不運と決めつける人ほど、不運であることに執着し続けます。不運だと決めつけることによって、自己肯定している。つまり、不運だと決めつける人は判断欲が高いともいえます。
不運が続かないようにするにはどうすべきか?
運とは「感情の受け取りかた」です。不運とは「ネガティブな感情を脳に記憶した状態」です。
ある出来事が起きて、プラスに受け取れば運がいいという記憶が残るし、マイナスに受け取れば運が悪いという記憶が脳に蓄積されます。
例えば道を歩いていて、転んだとしましょう。
このとき、人間は生存本能から恐怖という感情を発生させ、再び転ばないように記憶に定着させます。危険を回避するための生理現象です。
しかし、この生理現象に対して「転んでしまって運が悪い」と意味づけをしている人は「運が悪い」という記憶が残ります。
猫や犬のように、自然現象に対し何の意味付けを行わない人は、運がいいも悪いもないので「運が悪くない」ということになります。
つまり、不運が続かないようにする方法は、「出来事に対して、自分勝手な意味付けをしないこと」なのです。
サティを入れて客観視してみよう
自分の感情や意味付けに気づくことをサティといいます。
地橋秀雄著の「ブッダの瞑想法(ヴィパッサナー瞑想の理論と実践)」に、
今、この瞬間に自分の心と体が何を経験しているかに気づき、ありのままに観察していくのです。一切の思考や判断を差し込まずに、見たものを「見た」、聞いたものを「聞いた」、感じたものを「感じた」と一つ一つ内語で言葉確認(ラベリング)しながら、純粋に事実だけに気づいていく、この作業を「サティ(sati)」と言い、ヴィパッサナー瞑想はサティの訓練を中心に進めます。
と書かれてあります。サティは自分のマイナス思考や感情に気づく方法として最適です。
- 騒音がうるさい → 音、聴覚
- 嫌なことを思い出して不愉快な気分だ → 記憶、回想、感情発生
- ルールを破られた → 価値観の否定、自己否定、恐怖、怒り
- ぶつけられた → 衝突、危険回避、恐怖、怒り
- 転んで嫌な気分になった → 転倒、危険回避、恐怖、感情発生
- 大学に落ちて絶望した → 大学に落ちた、自己否定、恐怖、感情発生
こうやって、現象に意味づけをせずに、現象のみを確認することで自分の感情に気づくことができます。感情は虚構であると理解できて、マイナス思考に振り回されないようになります。
まとめ
不運や幸運は、人間の勝手な解釈です。認識次第で全てが一変してしまうので、あるがままの事実に気づき思考を止め、妄想を離れることができれば、幸運も不運も超越した無執着の境地に入ることができます。
現象に対して意味づけをせずに、ありのままを観察するだけで、心を乱されることはなくなり、不運や不安のない涅槃に到達することができるでしょう。
参考資料
- 原始仏教 中村元
- スッタニパータ ブッダ
- 反応しない練習 草薙龍瞬
- 仏教聖典
- 集中講義 大乗仏教