ニムルドの水晶レンズは、古代アッシリアの首都ニネヴェの宮殿遺跡から出てきた世界最古の水晶レンズだ。発見者の名にちなんでレヤード・レンズとも呼ばれる。他にクレタ島やトルコから発見された古代の水晶レンズもご紹介する。
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目次
発見
オースティン・ヘンリー・レヤード
イギリスの旅行家であり考古学者のオースティン・ヘンリー・レヤードが、現イラク国内で古代アッシリアの首都ニネヴェの宮殿遺跡を発掘中、偶然に1個の透明な水晶製レンズを発見した。
この楕円形の水晶または水晶はすぐにレンズとして識別され、「ニムルドレンズ」として知られるようになった。平面から12センチメートルの焦点距離を持つ粗い拡大鏡として使用できた。
古代メソポタミアで栄華を誇ったアッシリア帝国(紀元前3~前7世紀)。一時期、その首都であったニムルドの宮殿遺跡から発掘されたのである。この遺跡の推定年代は750BC-710BCとされている。
1853年、イギリスの考古学者ヘンリー・レイヤードが発掘し、今も大英博物館に展示されている。大英博物館の55室で見ることができる。大英博物館にはエジプト・サッカラの古代王家の墳墓で見つかった水晶の凸レンズもある。このレンズは、同時に発掘された楔形文字を刻んだ粘土板などとともに、大英博物館の所蔵するところとなった。
レヤードは発掘当時の状況を、次のように語っている。「このレンズは、多くの不透明な青いガラス片の下から出土した。それらの青いガラスは、朽ち果てた木製や象牙製の何かを覆っていた象嵌材の破片と考えられる」
このレンズは3000年近くも昔に精巧なレンズを作る技術が存在したことの証ともいえる。
サイズ
直径4.3センチ、片側が凸面、もう片側が平面のいわゆる平凸レンズ。最も厚い部分で0.64センチというこのレンズ、倍率は約4倍である。
大英博物館が発表しているサイズ
- 寸法直径:1.25センチ
- 厚さ:0.25センチメートル(最大)
- 長さ:4.2センチ幅:3.45センチ
- 長さ:12センチ(焦点距離)
推定年代
材質はロッククリスタルで、出土した遺跡の推定年代はBC721年から705年。明らかに機械で研磨されたものだ。
他の国の水晶レンズ
クレタ文明の遺跡
また、紀元前8世紀頃から栄えたクレタ文明のクレタ島のアイダ山の神聖な洞窟でも水晶レンズが発見されている。ニムルドレンズよりも強力で品質がはるかに優れていた。
トルコの小アジアの半島
トルコの小アジアの半島で紀元前1世紀以降栄えた古代ギリシャの植民都市の遺跡からは、精巧な凹レンズが出土している。
小アジアで古代ギリシャの植民地として繁栄したエフェソス遺跡からは、精巧な造りの凹レンズが出土、こちらは現在トルコのアンカラ国立博物館に展示されている。これらは、近視(近視)を補正するために使用される凹レンズであり、画像を75%も縮小する珍しいレンズである。
真相
紀元前三世紀頃には太陽の光を集めて火をおこす発火のためのレンズは存在していた。2世紀のプトレマイオスの時代にはレンズを拡大鏡に使うことが知られている。
13世紀後半になると、イタリアのベネチアで発明され1400年代にはヨーロッパに広まっていった。日本に伝わったのは1500年代である。1608年にはハンス・リッペルハイがオランダで望遠鏡を最初に製造した。レンズは古くから存在し少しづつ時間をかけ世界に浸透していった。
古代ギリシャ人は原生動物の毛胞の存在を知っていたというし、古代アッシリア人たちが天文学に精通していたのも、こうしたレンズが古代から存在し、望遠鏡として使用していたからだとする説がある。
古代のメソポタミアやエジプト、ギリシャにレンズが存在していたとすれば、これらの地方で精密な天文観測に基づく占星術が盛んだったという学者も認める歴史的事実に説明がつくのである。
しかし、大英博物館に書かれている専門家は「このロッククリスタル片は慎重に研磨され、間違いなく光学特性を持っていますが、これらはおそらく偶然のものです。アッシリア人が拡大または火を作るためにレンズを使用したという証拠はありません。これはおそらく家具の断片である可能性が非常に高いです。」と言及している。
古代からレンズは様々な場所で存在したが、用途によって違う使い方をされていたと考えるのが妥当だろうか。
オーパーツが展示されている場所
イギリス・ロンドンにある大英博物館:Great Russell St, Bloomsbury, London WC1B 3DG
参考文献
- British Museum – The Nimrud Lens / The Layard Lens
神々の遺産オーパーツ大全:並木伸一郎 - オーパーツ超古代文明の謎:南山宏
- 驚異のオーパーツ!超古代ミステリー